そもそも何で働かなければいけないのか考えてみた

いろいろ労働問題とかについて書いてみたけどまずその前に、そもそもの話、何で働かなければいけないの?ってことを考えてみた。
 
一番基本としては生きる為に必要なことをしなければいけないからだよね。
 
衣・食・住。この3つの確保。
 
で、この3つをある程度満たすことができるようになったから、より便利な生活をしたいとか楽しみが欲しいとかプラスαの欲求が出てきたので、そのプラスαの部分も仕事になったと。
 
社会の中で生活する為にはお金が必要なので、需要に応える為に働き、対価としてお金を得て、そのお金を使って必要なものを購入し生活をしてるという訳だ。
 
こう考えると無くても良い仕事って多くない?
 
農業とか漁業とかの必須な仕事も何百年とか前に比べて物凄く効率が上がって、衣・食・住を今生きてる人に提供する為の生産に必要な人数って凄く少なくて済むようになってるじゃん。
 
だから多分、本来であれば人は余るはずなんだよね。
だって社会全体から見たら、生存に必要なものが供給されるのであれば、それ以外はオマケみたいなもんなんだから。
 
つまりこのオマケの部分が肥大してるんだよね。
 
例えば、コンビニ。24時間オープンてどう考えても過剰なサービスだけど、今やそれが当たり前になってる。コンビニだけじゃなくて他の多くの業種が24時間働かなければならないようになってる。流通とか。
 
24時間開いてれば便利だけど、必ずしも必要かっていうとそうじゃない。
Amazonでポチったものも、翌日必ず届かなければいけないというものでもない。
そもそもポチったもの自体が必要なモノなのかすら怪しいよね。まどマギのフィギュアとかだったりすると。
何足も持ってるのに、さらに新しく買う靴とかも必要かどうかっていうと必要ではないよね。
 
これは、誰かが本来必要ではないものを価値があるもののように見せかけているってこと。
 
社会の中で生活をする為にはお金が必要で、お金を稼ぐ為に働かなければいけないっていうのが世間一般の常識だけど、こう考えるとそれらの仕事のかなりの部分は無駄なんじゃないかな。無駄っていうと御幣があるけれど、要はオマケっていうこと。
 
覚悟さえ決めれば地方に移住して、給料を減らしてその分労働時間とストレスも減らすっていう働き方もできると思うんだよね。
少なくとも都会で満員電車に揺られたり、ラッシュの中車を運転して通勤するっていうことはしなくても良くなるはず。
物価の安い国に行ってそこで生活っていう手もある。実際タイとか行ってる人も増えてるらしいし。
日本の地方と外国を同列にするのはあまり良くないと思うけど、ニュアンスで感じてもらいたい。
要は働かなくても良いってことは無いにしろ最小限にはできる道はあるっていうこと。
でもこれは今の社会のマジョリティ側な価値観の生活から外れるっていうこと。
 
それを選ばないっていうのはマジョリティ側の価値観の中で生活するっていうことだよね。
24時間オープンのコンビニやスーパーがあって、Amazonで注文すると翌日に品が届くようなオマケが肥大した社会。
 
つまりはどっちの価値観を選択するかということ。
現代の資本主義・物質主義的なな価値観か、そうじゃないか。
 
だから何で働かなければいけないかというと、働かなければいけないという価値観を選んだから。
理由がある訳では無く、働くために働いてるということに他ならない。