年功序列についても考えてみた

年功序列で出世して、仕事ができないと思われている人は昔ながらの会社であればどこにでもいるだろう。
 
実際その人達は仕事が出来ないのか?
 
否、決してそんなことはない。
 
確かにそういう人達はパソコンやケータイ、新しい技術には疎いかもしれない。
エクセルも扱えないし、ワードで文書を作ることすら出来ない。
 
しかしそれと仕事が出来る出来ないは全くの別物だ。
 
では何をもってして仕事ができるのかというと、他社とのコネだ。
 
その人が年功序列で出世してるのであれば、その人の同年代も全て同様に出世してると考えられる。
 
他社に行った大学の同期、新人の頃から取引をしてた他社の新人社員。
今は部署の責任者になっていたり、役職者になっていたりするだろう。
 
例えば、自分では仕事ができると思ってる新人が取引先と問題を起こして、本人では対処できないとき、その仕事ができないと思われてる人は、電話一本で直接相手の責任者と話を付けることができる。
 
この場合仕事ができないのはどっちだろうか?
上の人間が責任を取るのは当然とも言えるが、実際に責任を取れるだけの経験や実績があるからこそ上になってるとも言える。
 
会社としても、見た目で上下関係が分かり、年下の上司などもなく、人間関係の問題も起きづらい。
年長者を敬うという儒教的な精神の強い日本では、年長者が指揮系統の上位に配置されるというシステムは上手く機能していたのだろう。
 
もちろん社会全体が年功序列というシステムを採用していたからこそではあるが。
 
ただ恐らくは多くの人が成果主義もしくは成果を出すことを求められている現代に、仕事ができないと思われている人が上にいることはマネジメント上非常に良くないと思われる。
数年前であれば、自分も頑張って出世すれば仕事出来なくても役職がついて高い給料がもらえるというモチベーションになったかも知れないが、もはや翌年の会社の存続すら不安に思う現代ではマイナスにしかならないんじゃないかな。