なんで働かなければいけないのか。社会に生きてる以上、享受しているメリットへの対価を提供しなければならない

働かずに好きなことをして生きていきたいと、誰しも思ったことはあると思う。

僕も今でもそういう生活をしてみたいもんだと思うことがあるww

 

でも実際の世の中は大人になったら働くというのが当たり前になってる。

 

ということで、何で働かなければいけないかっていうのを考えてみた。

 

どうして働かなければいけないか?

  

生きていくのにお金が必要だから。

 

現代社会で生活をするには、何も購入しなくてもお金がかかる。

住民税とかの税金ね。

 

でも、便利さとかを一切考えず、生きていくだけだったらお金はなくても大丈夫。

例えば、食べ物の豊富な南の島なんかに行けば、生きていくだけならできる。

果物や野菜は自然にあって、魚や動物も沢山いる。

じゃあ、そういう原始的な生活でいいなら働かなくていいのかっていうと多分そうじゃない。

 

仮に親子3人だけでこの南の島に住んでるとする。

 

生きていく為には、果物や野菜を採りにいったり、獣や魚を捕まえる必要がある。

もちろん子供の世話もしなければいけない。

 

これって働いてるよね?

 

おっぱいをあげられるのは女の人だけなので、子供が生まれたばかりの頃は世話にかかりっきりにならなければいけない。

妊娠中も無理はできないし。

 

そうすると狩りや採集には男が行くことになる。

身体の違いに基づいて役割が分担される。

 

親は子供に、狩猟や採集の仕方を教える。

教えなければ、子供は食べ物を得ることができず生きていけなくなってしまう。

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次は、このような親子がいくつも集まっている集落で考える。

 

多分ここでも基本的には男女の役割は変わらない。

 

男が狩猟に行って、女は子育てや家のこと。

 

狩猟も家のことも人数が増えて効率が上がる。

 

1人が罠をしかけて、他の人が追い込んだりとか。

家のことも誰かが全員分まとめて洗濯をしたりとか。

 

さらに分業もできるようになる。

山に狩りに行くグループと、海に漁に行くグループとか。

洗濯するグループと食事を作るグループとか。

 

そういう風にして、効率化と分業により、人数が増えるごとに社会はどんどん豊かになっていく。

 

余裕が出来てきたら、より安全や便利さを求めるようになる。

 

畑が獣に襲われて困ってるとしたら、男は全員が狩りや漁に出かけるのではなく、何人かは村に残って獣から畑を守る役割になるとかね。

 

みんなで集まって暮らすことで、より豊かに安全に生活ができるようになるということ。

 

このように人が増えてくると、1人2人は働かなくても大丈夫なぐらい余裕ができるようにもなる。

 

それで実際に働かなくても良いかっていうと、そんな訳にはいかないよね。

 

その働かない人が住む家は、他の人が作った家だろうし。

食べる物だって、他の人が獲ったり育てたりしたもの。

獣の危険に怯えなくて良いのも、村の人が守ってくれているから。

それって、その社会に所属しているだけで得られているメリットだよね。

 

メリットを享受するだけで、その社会に対して何の価値も提供しないのであれば、その社会から見るとお荷物でしかない。

 

「余裕」が膨大にある社会ならともかく、天候不順とか不漁とかが少し続いたら一気に食うに困るような社会では恐らく働かずにいることは許されない。

日本だってちょっと昔は子供は労働力と考えられていたし。

 

例えば病気や怪我で狩りに行けないという理由があるのかも知れない。

それでも、それなりにできることはある。

昔の日本なら、目が見えない人は按摩師になっていたりした。

琵琶法師とか吟遊詩人みたいな様々な物語を伝える役割もあった。

 

つまり社会に属しているだけでメリットがあるのだから、その社会の成員は何らかの価値を提供する義務があるということ。

 

どれだけ豊かな社会だとしても、多くの人が働かずに蓄えを消費しているだけでは、いずれその蓄えはなくなってしまう。

食べ物だって、食べるだけで新しく育てたり採集しなければなくなってしまう。

建物だって、傷んでくるんだからメンテナンスをする必要がある。

 

その社会での生活の豊かさを維持するためだけでも、一人一人が価値を提供し続けなければいけないということ。

 

例えば狩猟の能力が無かったとしても、獲物を美味しく調理するとかが出来れば、立派な価値の提供。

体力がなくても、頭を使って、より便利な道具を考え出したりすることが出来ればそれだって価値の提供。

つまり適材適所で、本人の能力や資質にあったことをすれば良い。

 

ある程度社会が豊かになってくれば、より豊かさを求めて必要とされる仕事の種類も増えてくる。

食べ物がなくて生きるか死ぬかの社会だったら必要とされなくとも、ある程度衣食住が満たされた社会なら健康とかリラックスということに対する需要が発生し、按摩師という職業が必要とされるようになる。

そうすると目が見えない人も社会に対して価値を提供できるようになる。

 

さて、現代社会について考えると、社会の中で生活するメリットの対価として、税金という形で価値を提供している訳だ。

で、そのお金を稼ぐ為に、働く必要があると。

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社会に価値を提供するのが嫌、具体的には税金なんか払いたくないし働きたくもないというのであれば、完全に社会を離れた場所で自給自足の生活をすれば良い。

便利な生活は捨てたくないけど働きたくはないというのは、道理にも原則にも反する話。

 

つまり、何で働かなければいけないのかというと、社会の中で生活しているだけでメリットを享受しているのだから、対価として価値を提供する必要があるから。現状、提供する価値はお金でなければいけないので、そのお金を得る為に働く必要があるということなんじゃないかな。

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