日本の「おもてなし」は実はサービスの価値への対価を払わないという奴隷制を言い換えただけのものでは?という話

2020年には東京オリンピックですよ。

 
世界中の人を日本式のおもてなしで出迎えようと言われてますね。
 
でも日本式のおもてなしって本当に優れているの?とふと疑問に思ったので考えてみた。
 
日本は高級じゃない普通のレストランでもサービスの質が良いと言われてる。
 
多分それは事実で、アメリカ行った時、店員のねーちゃんの接客超適当だったもん。
 
でもそれって実は自分たちの首を絞めてるという面もあるんではないかなと思ったのです。
 
レストランのウェイターを例に考えると、本来の仕事の内容としては、
 
・注文を聞く
・注文された商品を運ぶ
・会計をする
・食後のテーブルをキレイにする
 
他にも細々とした業務があるかも知れませんが、主な業務はこれぐらいですよね。
 
日本の場合はそこに、笑顔だったり、丁寧な接客というものも加わってる訳です。
 
アメリカなんかだと、笑顔や丁寧な接客というのはチップ、つまりお金の為に行うもの。
もしくは基本給の高い高級レストランとか。
少なくとも普通のファミレスみたいなところの接客ではない。
 
要は、良いサービスにはお金という対価が発生するという認識がある訳です。
 
日本は時給900円のファミレスで、海外だったら高級レストランでもおかしくないレベルの接客をしていて、これって自分達の労働の価値を毀損しているんじゃない?と思ったのです。
 
客側も丁寧にもてなされて当然という意識を持ってるので、少しでも無愛想な接客をされるとすぐにクレームに結びついてしまう。
間違った意味で広がってる、「お客様は神様です」という言葉もあるし。
 
そういう「価値のあるサービスがあるのが当たり前」という状態ってあんまり良くないんじゃないかと思う。
 
だってさ、高級レストランに行っても給仕についてはファミレスとあまり差がないんだよ。
やることは一緒で、そこに丁寧さも元々加わってるんだから。
もちろん、より洗練された動きとか、商品に対する知識みたいなのも必要なのかも知れないけど、それでもその程度でしょ。
 
雇用する側からすると、ウェイターの時給がファミレスで900円なら、高級レストランでも1000円でいいかみたいなことになり得る。
もしかしたら海外なら2000円の時給になるかも知れないのに。
 
客側からしても、どんな素晴らしい接客なのかと思って高級レストランに行っても、ファミレスの接客レベルが高いせいで大きな差感じることができずがっかりという可能性がある。
 
だから「値段なり」のサービスにしておかなければいけないんじゃない?
そこを無理すると歪みが出てしまう。
 
外国の企業からからしたら、日本のおもてなしは夢のような文化。
世界第3位の経済大国である日本では当然のことだと言って、お給料据え置きで従業員にサービスの質の向上を強制できるんだから。
 
でもこれで得なのは雇用する側だけで、働く側からしたら負担が増えて損にしかならない。
 
そう考えると日本のサービス業の従業員はずっと損をしてきたと言ってもいいのではないかと思う。
 
日本では多くの人がお金は汚いものだと考えているそう。
 そういう考えがあるからサービスからは対価を貰わないという文化が育ったのかな。
 
僕だってお金が全てとは思わないけど、少なくとも良いサービスには適正な対価を支払うということは必要なんじゃないでしょうかね。
 
そうじゃないと「おもてなし」と言われている日本の接客サービスが、実は労働の価値に対しての対価を支払わない奴隷制をオブラートに包んで表現しただけのものと言われても仕方ない。 
グローバル経済と現代奴隷制

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