今の日本は、本来は豊かな生活を送る為の「手段」であった「働く」ということが「目的」になった労働教社会なのでは?

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昨今の長時間労働の問題について考えてたら、日本での人生においての仕事に対する価値観みたいなところに行き着いたので、その辺の流れをつらつらと書いてみます。
 
生活の為に働かなきゃいけないのは当然だとしても、もはや度が過ぎて働く為に生きてるのか、生きる為に働いてるのか分からないレベルになってる気がします。
 
それって戦後の高度経済成長時代の、悪い面だけがそのまま残ってるんじゃないかな。
 
戦後はモノも食べ物も少なくて、豊かな生活を手に入れる為には一生懸命働く必要があった訳です。
それが人口ボーナスもあり、欧米式のライフスタイルも入ってきて、テレビとか車とか新しい商品の需要が馬鹿みたいに高まってたので、いろんな物が作った分だけ売れた訳です。
売上を更に増やしたければ、働く時間を増やしてもっと沢山作って、営業時間を伸ばすだけで良かった。
 
でも今は、昔と違って食べ物もモノも溢れてて、簡単にはモノが売れなくなってる。
 
モノがいっぱいあるんだから、本来は昔と同じレベルで働く必要は無いはずだと思うのですが、「生活を豊かにする為に働く」という目的の部分だけを切り取って、「働く」って部分だけが上手く残されてしまってるから、ブラック企業とか長時間労働が無くならないという面があるんではないかと。
 
戦後は、国民一体となって一生懸命働いて日本を豊かにしようという思いがあったはずです。でも逆に、働けるのに働いていない人間は非国民だみたいなイメージもあったと思います。家でぐーたらしてる子供がいたりすると、恥ずかしくて外を歩けないみたいな。
 
そういう働かなきゃいけないというイメージと合わせて、働いた分だけ給料も貰え生活が豊かになったことで、
 
「働かないのは悪いことだ」
 ↓
「働いたらこんなに豊かな生活が送れる」
 ↓
「だからみんなもっと働こうよ」
 
というような感じで、益々人は働くべきだし働かなければいけないということが、社会的なコンセンサスとして強化されていったんじゃないかなと思います。
 
それで、本来は豊かな生活を送る為の「手段」であった「働く」ということが「目的」になっちゃってるんではないでしょうか。
 
もう宗教みたい。労働教。
 
それが今のブラック企業でも世間体とかを気にして辞めることができないということに繋がってるんじゃないかと。
 
そりゃ仕事を辞めると生活費等の現実的な問題はありますが、世間体とか仕事から逃げたと思われたりとか、そういう印象を作ることで次の仕事なんか決まらないというような脅しとか脅迫に近いものだったりとか、あと何週間かだけ頑張ろう今頑張ったら楽になるからとか偉くなってる人はみんな逃げずに頑張ったんだみたいな努力至上主義的なイメージとか、でも実は努力なんかじゃなく経営側の搾取を努力と言い換えてるだけだとか、でもそれがまかり通る世の中全体での印象操作とかもあるとは思いますが。
 
そういうのも全部ひっくるめての労働教。
今どれだけ辛く苦しくても、一生懸命身を粉にして働くことが幸せにつながるみたいな。
 
田舎を出て家族とも離れた都会で1人で暮らし、やりたいことも出来ず仕事ばっかりする人生で何が幸せなのかと。
 
そんな価値観さっさとゴミ箱に全力で投げ捨てましょう!