「好き」だけを仕事にすると行き詰まる。仕事の前提は「嫌い」が正解

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好きなことを仕事にするというのは、一見素晴らしいことのように思えます。

 
でも好きなことを好きなようにしているだけじゃ、結局は仕事として立ちゆかなくなってしまいます。
 
今の日本のアニメ業界が低賃金、長時間労働とブラックになってるのはまさにそれが理由です。
 
市場としては非常に小さいオタク向けにしか作品を作っていないので、この先どんどん先細りになるでしょう。 
これって他の仕事全般に言えることだと思います。
個人の仕事のスタンスという小さな面でも、事業の方向性という大きな面でも、多分同じです。
 
誰かに仕事を依頼しなければいけない際、Aさんの方が好きだけど低クオリティ、Bさんは好きじゃないけど高クオリティという場合、どちらの方に依頼した方がいいでしょうか?
 
好き嫌いには、仲が良いとか話がしやすいとかいろんな要因があると思います。
Bさんは常に忙しいので依頼しづらいということもあるでしょう。
 
CとDという仕事があって、Dは急ぎで難しい、Cは簡単で急ぎではない場合、どっちから手を付けた方が良いでしょうか?
 
事業の方向性でも、ずっと同じ事業を続けていれば大きくチャレンジしなくても良いけども、世の中が大きく変わった時に需要が亡くなったり、強力な競合が出てくるというリスクがあります。
 
方向性を変えるのには大きなエネルギーが必要になります。
社長や役員がその判断をするのもそうですし、社員もそれまでとは違う領域で仕事をすることになるので学習が必要になったりするでしょう。
 
「好き」とか「楽」な方にばっかり向かってると、結局は行き止まりにぶち当たると思います。
 
だから前提を、「仕事は嫌なことばかりでストレスがあるもの」「好きなことなんかできなくて当然」という認識から始めるべきでしょう。
 
その前提がある上で、せめて人間関係だけでも良くしよう、人に何か依頼する際には丁寧な言葉を心がけよう、嫌いな仕事ではあるけれど自由度がある部分には少し遊び心を入れてみよう、とか仕事を少しでも楽しくする工夫をする方が、大人な振る舞いだし生産的ではないでしょうか。
 
ストレス・プレッシャーの多さと、生産性・仕事の価値って多分比例しています。
 
自分の価値を高めて、給料を上げて、より良い人生を送る為にも、ストレスやプレッシャーに自ら飛び込んでいくことが大事だと思います。

 

幼年期の終り (ハヤカワ文庫 SF (341))

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日本人がこれだけ勉強してるのに英語を話せないのは効率の悪い方法を刷り込まれてるから?

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英語は世界へのパスポートです。
英語ができると、日本だけでなく海外で働くという選択肢も視野に入ってきます。
 
これだけグローバル化が進んだ世の中で、教育が普及している日本において、何故か英語ができる人は非常に少なく思えます。
インバウンドに力を入れて、オリンピック開催を控えている割には、英語教育を充実させようという動きもそれほど見えません。
 
というかおもてなしの国を謳うのであれば、語学教育は国を挙げての急務じゃないでしょうか?
英語に限らず、中国語、ロシア語、スペイン語、ポルトガル語、フランス語あたりのメジャー言語の教育もですね。
 
このような状況にも関わらず、英語教育を進めない理由はやはり日本人が英語をできるようになったら困る人達がいるからなんではと勘ぐってしまいます。
 
語学なんてのは実践でどんどん使わないと身に付くものではありません。
本当に英語ができる人を増やしたいんであれば、実践で使う仕組みを作れば良いだけです。
 
毎日英語で日記を書かせて、それを添削するとか。
ペーパーテストだけでなく、ディスカッションもテストに含めるとか。
 
もちろん既存の英語教師だけでは手が足りないので、どんどん外部のサービスも利用すればいいんです。
試験に関しては、TOEICとか。
スピーキングだって、skypeでの格安英会話レッスンがあるのでそれを利用すれば良いです。
それらを使えるようにするのは、英語教育だけじゃなく、IT教育としても有用だと思います。
国としてそれらのサービスを提供している会社と直接契約してしまえば、現地でも雇用が安定するし、国際交流・異文化理解にもなるでしょう。
 
ちなみに、格安のオンライン英会話のメッカといえばフィリピンです。
フィリピン人を移民として呼ぶんであれば、介護要員としてだけじゃなく、英会話教師としても全然働けるでしょうに何でそうしないんでしょうかね。
確かに発音は人によっては若干訛りがありますが、どうせ外国行って英語で話す人の多くは非ネイティブで訛りがあるのが普通です。
ネイティブの発音に触れるのは週1回のALTだけで十分でしょう。
 
十分なリソースがあるにも関わらず、それらを利用せず非効率な英語教育を続けている理由って何でしょうかね?

日本のアニメ業界は村上隆の作品を見て自分たちを省みた方がいいんじゃない?

日本のアニメの現代アートにおける文脈って、村上隆が表現したような性的なものとしての位置づけなんでしょうね。

 
実際アニメ業界は萌え枠的な作品を毎クール作ってて、むしろそういった作品がマーケットとして大きく、かなり頼ってる部分があります。
 
20年ぐらい前までだったら、ドラゴンボールとか世界名作劇場(まだあったっけ?)とかの子供が見る作品と、OVAとか深夜アニメとかの大人が見る作品で、すみ分けがまだ出来てたような気がするけど今ってその辺がごっちゃになってるよね。
 
円盤売上は、硬派な作品が売れずに美少女系作品がメインだし。
正確にはガンダムとかハガレンとか進撃とか大ヒットする作品はあるけども、外れる可能性の方が高く(ボンズとかマングローブとかMAPPAとか)、美少女ものの方が大ヒットはしなくとも確実に数字を見込めるから、会社としてはそちらに頼らざるを得ないということなんでしょうけれども。
 
だから世の中的には、日本だけでなく世界中のアニメファンじゃない人からの、日本のアニメの認識って村上隆の作品みたいなイメージを持たれてしまってる。
そういう認識があるからこそ、それを表現した作品が評価されたんだろうし。
 
だからアニメ規制とかっていう話も出てくる。
多分日本人のロリコンのイメージをアニメが作ってるって面もあるんでしょうね。
だから、本来関係ない3次元での問題を2次元にも持ち込もうとされちゃう。
 
んで、当の村上隆は日本のアニメが落ち目だと思ったら、即そこから手を引いて違う表現をしだしてる。
世の中への洞察の深さと行動の速さはさすが世界で活躍できる人です。
 
まあ別に村上隆はいいんです。
 
それよりは日本のアニメ業界の方です。
お前ら本当にそのままでいいのかって話ですよ。
 
この前ののうりんのポスター問題だって、一般人に公開するポスターなんだから空気読めよと。
ガルパンはたまたまファンが地元にお金落としてくれるようになったから大丈夫だったかも知れないけど、あれも一歩間違えたら叩かれる可能性はあると思う。
 
結局自分たちの内輪のノリを一般社会に持ち込んでるって点では、渋谷とかでウェーイって騒いでる連中と全く同じだよね。
 
そんな「内輪」だけで外を見ずに作品を作ってるから、市場も大きくならないし、給料も上がらない。
ビジネス意識は無く、趣味・同人感覚で作品を作ってるんだから、ブラックなままだよね。
「趣味」にどんだけ熱中したところで、好きなことやってるんだから文句言うなって言われるのが関の山。
 
今の待遇に文句があるならアニメを「仕事」にしましょうってこと。