普通に考えると社会の負担でしかない高齢者を、どうしていくのかというのはこれからの避けられない大きな課題

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これからの日本の問題を考えたときに、高齢者をどう扱うかということが挙げられると思います。
 
特に日本の場合、定年退職後は急にすることがなくなって、頭も身体も使うことがなくなりボケが進んだり身体にガタがきたりという問題があります。
話し相手がいなくて寂しい為、コールセンターで長々と話したり、用もないのに毎日病院に通ってダラダラと話したりということも聞きます。
 
コンビニ前でたむろしてウェイウェイやってるヤンキーと全く同じです。
 
こうなってくると、一切生産的なことをせず、コールセンターとか病院とか本当に必要としている人の邪魔でしかなく、年金とか保険料とかの税金を食い潰すだけの存在にしかなりません。
 
早くお迎えがきたらいいのにとすら思ってしまいます。
 
本来、安心して老後も生活できる為の社会保障システムです。
それがあるから、若者は安心して働くことができる訳です。
というよりは、老後は働かなくてもいいようにしてあげるから、若いうちはしっかり働こうねということでしょう。
 
それが今は世の中が変わって、今の若い人が高齢者になった時に安心して生活できそうかというと、一切そんなことはないです。
 
年金問題はもちろんそうですし、世界全体がどうなってるかも分かりません。
移民とか資源とか戦争とか、いろいろな問題が起きそうです。
 
そんな中で、悠々自適そうに暮らしてる高齢者が、社会的にお荷物にしか見えなくなってしまってるのだと思います。
 
実際、昔は高齢者には役割がありました。
 
生き字引という言葉もあるように、長く生きた高齢者はその経験や知識を若い人に教えるという役割がありました。
 
でも今は若者と高齢者が接するコミュニティ自体がありません。
また世の中の変化が早過ぎる為、高齢者の経験知識が陳腐化して役に立たない可能性も非常に高いです。
仮にそうじゃなくても、ビッグデータ全盛の今の時代、高齢者の経験や知識もデータ化されて、誰でもアクセスできてしまいます。
グーグルの検索とかそういうことですよね。
 
となると、今の若者からすると社会的に高齢者っていなくても良い存在だと考えても仕方ないということになると思います。
将来自分たちが年をとるということを考えた時に、国には頼れないので今の消費より将来に備えた貯蓄にしたり、逆に将来のことを考えず今だけ楽しければ良いという過ごし方になるんではないでしょうか。
 
つまり高齢者と若者の間に超えられない壁ができてしまってるということです。
 
それが今の社会システムとか価値観のままだと国として致命的になるんではないかという気さえします。
 
ということを見越して、高齢者も何がしか活動できる社会ということで、安倍さんは「一億総活躍社会」ということを言ってるんじゃないでしょうかね。
 
今の高齢者はそれなりに働いてきて、これ以上働くことなく悠々自適な生活をしたいというかできて当然と思ってる人ばかりなので、社会の為に何か活動をとなっても彼らに何かさせるのは非常に難しい気がしますが。
 
とは言え、高齢者の貧困率が9割という世の中で、さらに高齢者に税金を投入して若者をないがしろにすると、ガチで高齢者と若者で断絶が発生すると思うので、ここのハンドリングは絶対に失敗できないことを考えると非常に難しいと思います。
それを考える人は大変ですね。

最低時給1500円?それって1500円の価値がないと判断された人は働けなくなって、残った人がその分働かなければいけない社会ってことですよね?

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安倍さんが最低時給を1500円にするみたいなことを言ったそうですね。
 
そんなことして大丈夫?
 
 
企業が時給1500円払っても良いと判断した人は働き続けることができますけど、そうじゃない人、例えば時給1000円の価値の人は職にあぶれる可能性があるってことですよね?
 
 
ここにも書いてますけど、時給1500円以下の人と以上の人で完全に格差ができる可能性があると思います。
 
これが企業に対して、全従業員に時給1500円以上払えるよう、事業内容の改善、付加価値の増加を求めるというもので、その為の何かしらのルールなりガイドラインなり仕組みなりを作るというのなら良いんです。
ただでさえ、日本の一人あたりの生産性は低いみたいですから、それを企業の仕組みから変えさせようというのは悪くないと思います。
 
多分実際そういう狙いもあるんでしょう。
 
でもね、これ絶対そうはならない。
 
非正規雇用の増加どころか、そもそもの職に就けない人が増えるだけですよ。
 
しかも減ったスタッフ分を既存スタッフが埋めなければならないということになって、またブラック企業が増えるだけです。
以前のブラック企業は、低賃金、長時間労働、過度なストレス等が問題でしたが、今回は見た目の給料は上がってるので低賃金というのは当てはまらなくなります。
そうすると「それだけ給料もらえてるんだからいいでしょ?」「世の中には職に就けない人がいっぱいいる。職があるだけマシ」という理屈が通るようになって、ブラック企業の発見がより困難になるんじゃないですかね。
 
身体的にも精神的にも健康を病む人が増えて、社会保障費の増加とかより問題が増えるだけでしょ。
 
最低時給1500円なんてことよりも、不当な労働を取り締まるだけで良いんじゃないですかね。
労使両方が納得していて、第三者が見ても労働内容に妥当性があれば、時給600円でも何も問題は無い訳で。
 
簡単で誰でもできる仕事だけど、自分でやるだけの時間はないからちょっと人にお願いしようかなみたいな仕事って実はいっぱいあると思うんですよね。
 
道路で立ってるだけのモデルハウスの場所の案内の人とか。椅子があるところだとずっと本読んでるだけの人とかいますからね。
土日とかもいるので、バイト雇うとコストになるので社員が休日出勤で出てきてるとかしてると思うんですよね。
でもそういうのこそ、時間ある人が3時間ぐらいならやろうかな、みたいなノリでできた方がいいと思います。
僕だってそこで本読んでるだけでお金くれるなら、時間あれば時給500円でもやりますよ。
そういう人を3人集めたら9時間埋まる訳ですよ。
フルタイムは無理だけど、短い時間であれば働けるし働きたいって主婦とか高齢者とかいるでしょ。
 
埋もれてる人材を活用しつつ、働いてる人が無理をしなくていいって方が絶対良くないですか?
これ最低時給1500円とかになったら実現できないですからね。
 
どういう仕事であれば時給500円なのか、時給1500円になれるのか、その労働での価値がどれぐらいのものなのか?っていう指標とそれをチェックする仕組みを作る方がよっぽどみんなの為になるんじゃないかと思います。
 
その上で、例えば職業訓練校とか、価値創造の為のスキルアップができる機関を増やすとか。
 
そこでしっかり勉強して知識や技術を身に付けて、資格とかとして目に見える形で残せて、そういう人は給料が上がっていくって方が健全だし正しい。
 
結局、時給となると時間で拘束と意味が強調されて、どれだけの価値を提供できるかということに意識が向いてない気がする。
 
最低時給の設定よりは、企業の純益の何%を従業員に均等に配分しなければいけないとかってする方が、どんな基準でどれだけ出るか分からないボーナスよりも、自分がどれだけ売上に貢献したか=価値を提供できたかということがダイレクトに分かる分、「価値創造」を意識して、企業の経営は強くなるんじゃないですかね。
 
なんにしろ、ただ最低時給1500円にしますというのは、悪手以外の何者でもない気がします。 
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天才の思考を考えてみた。凡人である僕が天才に近づく為に大事なポイント。

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多くの人が嫌いだったり、ストレスがかかるからこそ仕事は仕事として成立しています。
 
でも極稀に、それらを一切ストレスとして感じない、感じたとしてもそれ以上に楽しみを感じることができるので、嫌になることなくずっと続けられる人がいます。
 
そういう人を天才と呼ぶのかなと。
 
例えば、勉強は多くの人が好きではないと思いますけど、中には勉強が好きでたまらないという人がいます。
知らなかったことを知ることができる、解けなかった問題が解けるようになることに喜びを感じることができるそうです。
解けるようになるまでのストレス<<(超えられない壁)<<解けるようになる喜び
ということですね。
 
仕事でも、仕事が大好きで働くことが全然苦にならないという人がいます。
次々と課題を見つけて、それを解決できる方法を考えて実行し、達成することに喜びを見つけられるからです。
 
起業家に多そうなタイプです。
 
これらの人の思考を考えてみると、「課題となっていることを解決する」ことにのみ思考がフォーカスしてて、その過程にある問題に対してはある種鈍感なんだと思います。
 
お腹が空いた(問題) → 外に食べに行ったり材料を買いに行く(過程) → 空腹が満たされる(解決)
 
という問題であれば、その過程がストレスでできないという人はまずいないと思います。
ただ、自分で作った方がコスト的にも健康にも良いというのは理解していても、作るのがめんどくさい、時間がかかる等の理由で、よりストレスの低い選択肢を選ぶことはあるでしょう。
 
これが仕事になると、
 
プロジェクトについて確認が必要(問題) → 役員クラスの人に確認(過程) → 許可を得る(解決)
 
というようなフローになるかと思います。
多くの人には普段接点のない役員に確認ということが非常に大きなストレスになってきます。
それが課題解決に喜びを得られる思考の人だと、課題を解決する為にはどうべきか、ということしか考えられない、むしろ課題を解決できないことにこそストレスを感じるので、過程が普通の人であればストレスを感じるようなことであっても、ストレスを感じずこなすことができるのではないかなと思います。
 
僕みたいな天才ではない人も、この考え方を当てはめて生活すれば、より生産性の高い日々を送ることができそうな気がします。
 
大事なのは、問題とその解決(ゴール)の設定の仕方だと思います。
 
例えば僕は以前、スカイプの英会話レッスンをやっていました。
1ヶ月ぐらいはほぼ毎日レッスンを受けていましたが、2ヶ月~3ヶ月たつとどんどんレッスンを休みがちになっていってしまいました。
結局4ヶ月かそこらぐらいで解約してしまいました。
毎日レッスンを受けるのがめんどくさい、上手く話ができないのがストレスになっていたというのが休みがちになった理由です。
 
明らかに問題とゴールの設定を間違っています。
 
英語が流暢に話せない(問題) → ネットレッスン(過程) → 流暢に話せるようになる(ゴール)
 
が正しいフローです。
流暢に話せるようになる為にレッスンを受けているのだから、レッスン中に滑らかに話せなくても当たり前でストレスに感じる必要なんか一切なかったのです。
 
しかも今思えば、与えられるニュース記事を読むということしかしていませんでした。
どういうレッスンにするかというのはこちらが選ぶのですが、ある程度さらっと読めて理解できるニュース・トピックスを毎回選んでいました。
レッスン中のストレスが一番低い内容です。
これではいくらやっても話せるようにはなりません。
どういう内容の話をできるようになりたいかを明確に設定して、そのトピックについての会話をしたり等、レッスン内容を工夫すべきでした。
要は英会話レッスンをやっているということ自体に満足して、より難しい(ストレスの多い)学び方をしなかったってことに尽きます。
それでも長くやっていれば多少は上達したのかも知れないですけど、実際全く効果がなかったってことはないですし、でも成長曲線で言うならものすごく緩やか。
もっと負荷のかかるレッスンの受け方にしてれば、同じ時間でもっと上達したんではないかと思います。
 
ていうようなことが多分いろんなことで起こってると思います。
仕事でも日々の生活でも。
 
人に聞けば一瞬で済む話なのに、知らないと思われるのが恥ずかしくて時間をかけて自分で調べたり。
 
それって結局、「結果」じゃなくて、「過程」で人に良く思われたいとかできないと思われたくないとか変な見栄とかプライドのせいだと思うんですよね。
 
その見栄やプライドをあえて考えないようにして、「結果」だけにフォーカスして行動できれば、凡人でも少しでも天才に近付けるんじゃないかと思います。
というかそうであって欲しいという希望ですが。
 
だから、考え方として大事なのは
「目標・ゴール」の設定と、あくまで「目標・ゴール」へ考えをフォーカスし続けること。
それとゴールへ至る「過程」をどうするか、難しいとか大変とか余計なことは脇へ置いてゴールへ最短距離で辿り着く方法を考えること。
過程でのプレッシャー・ストレスをどう軽減するかということじゃないでしょうか。
 
 
 
読んでないですが、この本もそんなようなことを書いてんじゃないですかね。
時間ができたらまた読んでみます。 
スタンフォードのストレスを力に変える教科書

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